なぜ日本のスピードスケートが強くなったのか!
2018/02/27(火)
やっと週間天気予報で最高気温が2桁になってきました。
明後日が21℃だなんて、一週間前では考えられない気温です。
このまま春が来て欲しいですね。
今年の冬野菜は悲惨な結果で終わってしまいました。
見るのも忍びないので1週間ほど畑へ行ってません。。。
昨日、オリンピック選手たちが帰国してきました。
今日もオリンピックネタで我慢してください(笑)
ネットの記事の中に、日本スピードスケート勢がなぜメダル6個も取れたのかと、
興味深い記事があったので、掻いつまんで紹介します。
![free-illustration-skate-speed-irasutoya-224x154[1]](https://blog-imgs-118-origin.fc2.com/z/i/c/zich/201802271537255a9.jpg)
4年前のソチオリンピックではメダルゼロだったのが、平昌オリンピックでは6個
(金3、銀2、銅1)も取れたのです。。。
4年前に日本電産サンキョー・スケート部の今村俊明監督が、高木ら中長距離の3選手を
連れてスケート王国(ソチで23個ものメダルを獲得した)のオランダプロチームの門を
たたいた。
そこには指導者としての評判が高かった当時35歳のヨハン・デビットコーチがいた。
オランダ独自の練習に戸惑いはあったものの、自転車で100キロのロードトレーニングが
当たり前のオランダで、トレーニングに励んだそうでう。
日本では室内での自転車トレだったが、比較にもならない過酷なものだったらしい。
日本スケート連盟も同じ動きをしていて、企業チームごとの強化から、ナショナルチームを
つくっての強化に取り組んだ。
中長距離の専任コーチがいなかったので、15年にデビットコーチを日本ナショナルチー
ムのコーチに招致して、強化を開始したそうだ。
デビットコーチは長距離自転車トレーニングはもちろんのこと、選手のモチベーションを
高めるためメンタル面での指導もしたそうです。
2年間オランダで修業した高木は16年に帰国し、その年の6月にナショナルチームに
加わった。
デビットコーチは特にチームパシュート(3人が1組になって隊列をつくって、
先頭を交代しながら滑る)に注力したそうです。
パシュートは先頭を走る選手が重要で、それを高木(美帆)に任せ、6周の内の半分以上
の3.5周で先頭を引っ張る役目を与えた。
結果は、ご存知の通り決勝で強敵オランダを1秒以上の差をつけて優勝した!!!
デビットコーチは以下のようにコメントした。
「過去3年間、とてもハードに練習してきた。
私は彼女たちのようなスケーターと一緒にできてラッキーだった。
彼女たちは自らもっとハードなトレーニングを望んだ。
家族と離れてでも私たちと一緒にやることを求めた。
でもまだマススタートが残っている。もう1つメダルを獲るチャンスがあるよ」
そして最後に、高木(菜那)がマススタートに出場して、初代チャンピオンになり、
金メダルを手にした。
さらに4年後の北京オリンピックを目差し、
日本スケート連盟が現在、デビットコーチと契約延長について調整をおこなっている
そうです。
尚、スピードスケート500mで金メダルの小平は、オランダへ行って単身修業を積んだ
そうです。
金メダルを取るような人は、人並み以上の努力をしているようです。。。
2015年のラグビーワールドカップで南アフリカを破った時も、エディー・ジョーンズ
ヘッドコーチが弱体化した日本チームを鍛え上げたのは記憶に新しいですね。

やはり優秀なコーチの下でトレーニングすると、それなりの結果が付いてくるようです。
来年は日本でラグビーワールドカップが開催されます。
コーチが去った後も、力を持続できることを祈る!
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明後日が21℃だなんて、一週間前では考えられない気温です。
このまま春が来て欲しいですね。
今年の冬野菜は悲惨な結果で終わってしまいました。
見るのも忍びないので1週間ほど畑へ行ってません。。。
昨日、オリンピック選手たちが帰国してきました。
今日もオリンピックネタで我慢してください(笑)
ネットの記事の中に、日本スピードスケート勢がなぜメダル6個も取れたのかと、
興味深い記事があったので、掻いつまんで紹介します。
![free-illustration-skate-speed-irasutoya-224x154[1]](https://blog-imgs-118-origin.fc2.com/z/i/c/zich/201802271537255a9.jpg)
4年前のソチオリンピックではメダルゼロだったのが、平昌オリンピックでは6個
(金3、銀2、銅1)も取れたのです。。。
4年前に日本電産サンキョー・スケート部の今村俊明監督が、高木ら中長距離の3選手を
連れてスケート王国(ソチで23個ものメダルを獲得した)のオランダプロチームの門を
たたいた。
そこには指導者としての評判が高かった当時35歳のヨハン・デビットコーチがいた。
オランダ独自の練習に戸惑いはあったものの、自転車で100キロのロードトレーニングが
当たり前のオランダで、トレーニングに励んだそうでう。
日本では室内での自転車トレだったが、比較にもならない過酷なものだったらしい。
日本スケート連盟も同じ動きをしていて、企業チームごとの強化から、ナショナルチームを
つくっての強化に取り組んだ。
中長距離の専任コーチがいなかったので、15年にデビットコーチを日本ナショナルチー
ムのコーチに招致して、強化を開始したそうだ。
デビットコーチは長距離自転車トレーニングはもちろんのこと、選手のモチベーションを
高めるためメンタル面での指導もしたそうです。
2年間オランダで修業した高木は16年に帰国し、その年の6月にナショナルチームに
加わった。
デビットコーチは特にチームパシュート(3人が1組になって隊列をつくって、
先頭を交代しながら滑る)に注力したそうです。
パシュートは先頭を走る選手が重要で、それを高木(美帆)に任せ、6周の内の半分以上
の3.5周で先頭を引っ張る役目を与えた。
結果は、ご存知の通り決勝で強敵オランダを1秒以上の差をつけて優勝した!!!
デビットコーチは以下のようにコメントした。
「過去3年間、とてもハードに練習してきた。
私は彼女たちのようなスケーターと一緒にできてラッキーだった。
彼女たちは自らもっとハードなトレーニングを望んだ。
家族と離れてでも私たちと一緒にやることを求めた。
でもまだマススタートが残っている。もう1つメダルを獲るチャンスがあるよ」
そして最後に、高木(菜那)がマススタートに出場して、初代チャンピオンになり、
金メダルを手にした。
さらに4年後の北京オリンピックを目差し、
日本スケート連盟が現在、デビットコーチと契約延長について調整をおこなっている
そうです。
尚、スピードスケート500mで金メダルの小平は、オランダへ行って単身修業を積んだ
そうです。
金メダルを取るような人は、人並み以上の努力をしているようです。。。
2015年のラグビーワールドカップで南アフリカを破った時も、エディー・ジョーンズ
ヘッドコーチが弱体化した日本チームを鍛え上げたのは記憶に新しいですね。

やはり優秀なコーチの下でトレーニングすると、それなりの結果が付いてくるようです。
来年は日本でラグビーワールドカップが開催されます。
コーチが去った後も、力を持続できることを祈る!
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この記事へのコメント
agriotomeさん
メダルを取るくらいの選手は、人並み以上の努力をしているのでしょうね。
やはりコーチが優秀だと、やる気のある選手は伸びるもんですね。
メダルを取るくらいの選手は、人並み以上の努力をしているのでしょうね。
やはりコーチが優秀だと、やる気のある選手は伸びるもんですね。
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- agriotome - 2018年02月28日 17:46:30
今回のオリンピックは、良い結果が出ましたね。
喜びの数だけ苦悩があったのですね。
結局は精神力の戦いですね。
半端ない精神力、私も学びたいものです。。